https://note.com/towa0927/n/n39035d791313
上記を読んで感じることがあったの記載する。
推し活がカジュアルに行われることは、推し原理主義者が忌み嫌うことだろう。
しかし、それを助長すると思われる、同担とSNSで繋がる行為は積極的に行われている。
つまり、繋がるために推す、ファンにとって好都合な環境にある。
一神教がベースにない日本人において、推しと自分の関係を純化していく作業が一般的とは考えにくい。
むしろ、繋がりを通じて、推しへの感情を共有し拡散することがあるべき姿とされているのかもしれない。
繋がりの中では、マウントが発生し階層化していく。
この状況は、事業者側としては利点が多い。マネタイズの源泉となるからだ。今後、中国のように推し活がソシャゲ化されてしまった場合、推し活が喰い物にされる。
日本でそれを避けるために、推し原理主義者に提案だ。
貴方たちは、聖別されなくてはならない
聖別(consecration)とは、宗教用語である。
神と自分の関係を純化していくことで、到達する状態と思われる。
そのまま、聖別を使用しても良いだろうが、
推し別
とした方がミーム化しやすいか。
推し原理主義者は、聖別(推し別)され、同担から自由になるべきである。
以下は余談だが、最近ジェームズ・ボールドウィンの小説を読んで、聖別された人間を知ったので、そこから着想を得た。