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上記の18分ぐらいからのプレゼンを
google documentで書きおこしました。
そのやり方は、以下を参照しました。

こんにちは、チームラボの猪子です。

チームラボは、人間と自然そして自分と世界との新しい関係を模索したいと思っています。2018年の夏に東京に、チームラボプラネッツとチームラボボーダレスという施設を作りました。来場者数は、オープンして5ヶ月で合計で170万人を超えています。年間では300万人を必ず超えると予想しています。今日はそのお話をしたいと思っています。

チームラボプラネッツは巨大な作品を4つからできています。今スクリーンに流れているこの作品は、光の点の集合によって立体物・立体の群を作っています。来場者はその中に体ごと没入していきます。今スクリーンに流れているこの作品では来場者は自由浮遊する光の球体の群に分け行ってきます。球体に触れることで光の色が変化し前の球体も呼応していきます。来場者は空間を光の球体の群によって、立体的に認識したり色に満たされ、平面的に認識したりしながら、体ごと埋没していきます。

なぜチームラボプラネッツを作ったか?
人は年の中ではまるで自分は独立して存在できていると錯覚しがちです。自分と世界との間に境界があるかのようにすら思ってしまうのですしかし本当は自分と世界との間に境界はなく、自分の存在は世界の一部であるし世界は自分の一部であるのです。巨大な作品の中に体ごと没入することで作品とし空の境界を曖昧にしたいと思っているのです。そしてその体験を通して自分と世界との間にある境界の認識を揺るがし、自分と世界との関係を考え直すきっかけを作りたいのです。

チームラボボーダレスは、1万平米という巨大な空間です。緩やかにつながった様々な空間に60以上の作品が存在しています。それぞれの作品は、一か所に留まらず、部屋から出て移動していきます。作品は人々と関係を持ち、人々と同じように時間の流れを持ちます。作品同士はコミュニケーションし、影響を受けあい、作品同士の境界は、曖昧で時には重なり合います。カラスをモチーフにした空間作品は、部屋から出て通路を飛び、違う空間に入っていきます。移動中、違う作品に変化を与えていきます。そして、空いた空間には空いてることを知った違う作品が空間に入り、新しい作品が始まっていきます。例えば里山をモチーフにした作品の棚田は、実際の春から夏にかけ日々成長し、秋にはゆっくりと黄金色に変わってきます。そして作品はそこにいる人々の振る舞いや存在の影響を受けて変化していきます。

当たり前ですが、世界には本来、境界がありません。しかし都市にいると世界は境界だらけで、まるで境界は元々あるかのように錯覚してしまいます。例えば、地球と宇宙は全く違った現象を持っていますが、境界はありません。独立していることと境界は、関係のない海にもかかわらず、独立することには、協会が必要であるかのようにも思い込んでしまいます。豊かな森に行くと多様な個々の生命が、連続的な関係の上に存在し、その状態は視覚的にも境界があいまいです。そして、我々も生きるということは、膨大の連続性の上にのみあり得るのです。しかし、その連続性があまりにも複雑化してしまったために、その連続性は体で認知できる範囲を超えてしまっているような気がするのです。とにかく都市の中に独立た様々なコンセプトの作品が、境界なく連続して繋がっている一つの世界を作りたかったのです。そして、境界なく繋がってるひとつの世界の中に意志のある身体で自ら彷徨い探索し発見していくような場所を作りたかったのです。そして、その体験を通して自らの身体で、世界の連続性を認知し、世界について考える場所にしたかったのです。

最後にこれは、四年前から毎年夏に行っている神様が住まう森という展覧会です。日本の九州の山の中にある古くからある森と古い庭園で開催しています。森には樹齢3千年以上の神木があったり、超自然的に積み重なった巨石の岩倉があります。名僧が1300年前に入山し、森の中の洞窟には岩肌に直接掘られた仏が今も残っています。庭園と自然の森との境界は曖昧で、庭園を歩いているといつのまにか森に入り込んだり獣道に出くわしたりします。長い長い時間の中で形作られた巨石は洞窟・森に、それぞれ時代ごとに人々が意味を見出し、それが1000年以上積み重ねられてこの場所はあるのだと思うのです。そして、今なお続く自然と人との営みが、庭園と森との境界の曖昧なこの居心地のよい美しい文化遺産を生んでいるのです。私自身、庭園と森との境界の曖昧な場所で道を失いさまよっている時に、自然と人々との営みの長く続いてきた境界のない連続性の上に、自分の存在があることを感じることができたのです。自分という存在は、何十億年という圧倒的時間の長さの永遠に繰り返されてきた生命の生と死の連続性の上にあります。しかし、日常ではなかなかそれを知覚することが難しいです。人間は自分の人生より長い時間を認知できないのだと思うのです。時間の連続性に対して認知の境界があると思うのです。森を探索していただき、圧倒的な長い年月をかけて形ずつ作られた巨石は洞窟そして森そのものの造形こそが、長い時間を知覚できる形そのものであると思い、それらを使うことで時間の連続性に対する認知の境界を超えられるのではないかと考えました。

チームラボはデジタイズドネイチャーというアートプロジェクトを行っています。非物質的であるデジタルテクノロジーによって自然が自然のままアートになるというプロジェクトです。自分の時間を超越した長い時を持つ巨石は洞窟・森、もしくは古くから続く庭そのものの形を使い、作品群にすることで時間の認知の境界を越えて、長い連続性の上に自分の存在があることを感じることができるのではないかと思ったのです。このように様々な認知の境界を超えるプロジェクトを行っています。是非、機会を作って作品を見に来てください。今日はありがとう。サンキュー。

(国谷裕子)
あの応用物理と計算工学をやっていらして、そしてアートを通じてそのいろんなものに興味がない、時間の境界・アートと人間の境界・自然と人間の境界がない。相当これは AI というもの人工知能使って実現できてるものなんですよね。


人工知能はそのセンシングに使ってるだけなので、作品自体には関係ない、センシングにしか使ってない。

(国谷裕子)
何が一番難しいですか。これをやり遂げるのに。素晴らしい本当に広大なスペースでこの作品を作っていく何が一番大変ですか。

何が一番大変か。何も大変じゃないですよ。
自分たちにとってテクノロジーは必要なもので、必要なことなんだけど。それはでもそんなに自分たちとって自分たちとってはそんなに重要なことではなくて、別に最先端の技術を使うことが目的でもなければ、表現なため必要で作ってるやつ使ってるだけで、そんなことよりも何か自分たちとって世界とは何か、自分たちにとって世界とは何か知りたいし、人類が今持ってる美をどのように拡張していくか、そういう事の方が多分重要で重要だと思うんですよ

(あとがき)
結構、書き起こしの精度は良かったです。9割ぐらいでしょうか。